幼少時代の私です。

私の事を知って下さい。

院長/元島道信

将来の夢は「歯医者さん」 歯科医の息子に生まれて

小さい頃、私は「将来の夢」というタイトルで、歯医者になって患者さんの治療しているところを絵に描いた事があるそうです。その絵も今となっては残っておらず、私自身もその時の記憶はありません。今思うと、父も母も歯科医師という環境で育ったので「自分も歯医者になるものだ」と自然と思っていたのでしょうね。
もうひとつ幼少期のエピソードをご紹介するならば、父は「歯科医師会」の用事で出かける事が多く休みの日はほとんど家にいませんでした。「歯科医師会」という言葉はよく家でも飛び交っていたように思いますが、子供の私に「歯科医師会」が理解できるわけもなく、ただただ「シカイシカイ」と音で覚え、「お父さんは“シカイシカイ”で出かけるんだな」と子供ながらに理解していました。「歯医者さん」が身近だった幼少期。愛情をたっぷり受け幼少期を過ごしました。

反抗、そして決断の時

中高の頃は、両親に反発して「歯医者にはならない!」と強く思っていました。反抗期ですね。(笑)自慢ではありませんが、成績はあまり良くありませんでした。しかし代々300年医療に携わってきた家系ということもあってか、その頃の私は医者を目指していました。両親はそんな私をどのように感じていたのでしょう。
医学部をめざし、福岡で浪人をしていた頃は、将来のことを深く考えず毎日をただただ過ごしていました。そんなある日父親と食事をすることになり、数か月ぶりに見た父は、白髪がとても増え少し年をとったように感じました。
思い返せば合格発表で「不合格だった」と連絡する度、私よりがっかりしていた父。この時「心配をかけて申し訳ない」という気持ちと、「今回で終わりにしなければ」という強い決意、そして「歯科の道に進み、父のあとを継ぐ」という人生最大の決断をした瞬間でもありました。父に反発し、歯科から目を背け続けていた私ですが、「継ぐ」という事はもうずっと前から決めていたのかもしれません。
(後から聞いた話ですが、父は周りや親戚には私が歯科の道を進んだ事は嬉しいと話していたそうです。)

大学時代からこれまでの素晴らしい出会い

無事広島大学歯学部に入学し、一年間の教養課程を終えた私は「世界を見たい」という思いから中国へ語学留学を決意。この留学は私を大きく変えることになります。まずは、中国という文化に触れ、神経質ではなくなりました。(笑)また、当時学生寮にタイ人とルームシェアをしていましたので対人関係を磨く事が出来ました。タイ人だけに・・・。(ジョークです!)この中国留学の数年後、韓国にも留学をしましたが、留学という経験は語学の習得はもちろん、人間としても自分を大きく成長させてくれたと思っています。
大学卒業後は、熊本大学付属病院歯科口腔外科にて篠原教授のもと2年間学びました。
この2年間は尊敬する教授から、高レベルの学術はもちろん、「医療人としての在り方」を学びました。卒業後の二年間はとても大事な時期だと言われていますが、その2年間を教授のもとで学べたという事は今の私を形成する上で大きな
ターニングポイントだったと思っています。
どこで、誰から(誰と)、何を学び、そこから何を得るのか。学びは人を大きく成長させます。学び続けた約10年間の中で得たものはとても大きく、すべての経験に感謝する毎日です。
研修終了後、矢山クリニックの矢山院長と出会い、先生から歯科の学術(知識・技術)と合わせて「気功」「武術」を学びました。矢山クリニックは「東洋医学と西洋医学、歯科と医科を統合して診断し治療する」をコンセプトに、一人の患者様を歯科医と医師の両方で治療する新しいシステムを実現した医院です。こちらでの学びも今の私を形成する上では欠かせません。
そして私は今父が院長を務める元島歯科にて副院長として、皆様の健口づくりのお手伝いをしております。

最後に

振り返ってみて私は知識・技術を学ぶと同時に、必ず人としての在り方や考え方を学んできた事に気づきました。
今、人生で一番尊敬する父の元で副院長として勤めておりますが、これからも父のもとで多くと患者さまとお出会いを大切にし、また皆様から学ばせていただきたいと思っております。
今後とも元島歯科クリニックをよろしくお願いいたします。